2014年 登壇者紹介(五十音順)

認定NPO法人環境エネルギー政策研究所 所長
1959年山口県生まれ。京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修士課程修了。現在、認定NPO法人環境エネルギー政策研究所(ISEP)所長。原子力産業や安全規制に従事後、「原子力ムラ」を脱出して北欧での研究活動や非営利活動を経てISEPを設立し現職。持続可能なエネルギー政策の実現を目指し、提言・活動を行っている。多くの国や地方自治体の審議会委員を務め、世界中に幅広いネットワークを持ち、特に3.11以降、世論をリードするエネルギー戦略を打ち出す。2014年より全国ご当地エネルギー協会 事務総長をつとめ、地域からのエネルギーシフトを進めるために全国を奔走中。著書に『エネルギー進化論』(ちくま新書)など多数。
合同会社 地球村研究室 代表、東北大学名誉教授 博士(工学)
2004年(株)INAX(現LIXIL)取締役CTOを経て東北大学教授、2014年より現職、ものつくりのパラダイムシフトに向けて国内外で多くの発信を続けている。特に、2004年からは、自然のすごさを賢く活かすあたらしいものつくり『ネイチャー・テクノロジー』を提唱、2014年から『心豊かな暮らし方』の上位概念である『間抜けの研究』を沖永良部島で開始した。また、環境戦略・政策を横断的に実践できる社会人の育成や、子供たちの環境教育にも積極的に取り組んでいる。ネイチャーテック研究会代表、サステナブル・ソリューションズ理事長、ものつくり生命文明機構理事、アースウォッチ・ジャパン副理事長ほか
近著:「それはエコまちがい? 震災から学んだ、2030年の心豊かな暮らしのかたち 」(プレスアート2013)
地球村研究室 動画 第1部『厳しい地球環境制約の中で心豊かに暮らすということ』(約13分)
本田技研工業株式会社 四輪事業本部 事業企画統括部 スマートコミュニティ企画室 主任技師
1982年株式会社本田技術研究所 入社、エンジン研究開発に従事。1997年〜 燃料電池車開発に参画。2003年〜 燃料電池開発室課マネージャー。2009年〜同シニアマネージャー。2013年12月〜 本田技研工業株式会社 事業企画統括部 スマートコミュニティ企画室にて水素関連企画に従事。現在、燃料電池実用化推進協議会(FCCJ)のFCV/水素インフラWG共同主査。
旧相馬中村藩主家34代目
相馬氏は、平将門を出した平氏の流れをくむ千葉氏の出身で、下総国相馬郡に所領をもっていた。(現在の茨城県取手市・龍ケ崎市・守谷市・つくばみらい市・常総市や千葉県我孫子市・柏市などにあたる)源頼朝の奥州平泉遠征(1189年)に参加し、福島県浜通り北部の、現在の相馬地域にも所領を獲得した。)800年以上も前から相馬氏は相馬の領主であった。鎌倉時代は、下総と奥州の所領をともに治め、南北朝時代にわかれたが、奥州の相馬氏は戦国大名となり、近隣の伊達政宗などに対抗した。そして、近世においても、転封を受けることもなく、相馬中村城に本拠をもつ6万石の大名相馬中村藩として存続した。
将門が始めた関八州の騎馬軍事練習が相馬中村藩の行事となり、現在においも相馬野馬追では500騎を越える伝来の騎馬武者が参加している。震災の年には影響を受け80騎まで減少したが、本年は450騎までとなる。総大将は今でも相馬氏当主(33代)和胤氏が勤めている。和胤氏長男が行胤(みちたね)氏である。震災以降、NPO相馬救援隊を立ち上げ、旧相馬藩地域において行政区域を越えて活動をした。特に子供たち、動物への支援に尽力を注いだ。
また、相馬の歴史とも言える野馬追の復興に務めるべく、震災の年には総大将の代行として出陣。多くの市民の勇気となった。脈々と続く歴史の中でも、また、震災後も地域の人々の平和を願い活動している。現在は十勝大樹町から広島県神石町に自ら移住し、旧相馬藩からの移住を余儀なくされた市民の受入をするべく、神石町・地元NPOと連携し活動をしている。また、旧相馬藩内においては、現在に至っても「若」というと相馬行胤氏のことであり、相馬の歴史の深さを物語っている。
京都大学名誉教授、(公財)国際高等研究所ビジティング・フェロー、NPO法人森は海の恋人理事
滋賀県大津市生まれ。稚魚の生理生態研究を40年間続け、渚域の重要性を学ぶ。その再生のカギを握る森と海のつながりを良くも悪くもする、“里”に住む人々の価値観の形成に関する森から海までの統合学問「森里海連環学」を2003年に提唱。東日本大震災直後から気仙沼舞根湾をモデルに、沿岸生態系への影響や回復過程に関する総合調査を「ボランティア研究チーム」により推進。諫早湾の開門を巡り混迷の極に至った有明海と震災の海三陸沿岸の再生を、「森は海の恋人」運動とその基礎を支える「森里海連環学」の連携により取り組み、持続循環社会を目指す。京都大学名誉教授、(公財)国際高等研究所ビジティング・フェロー、NPO法人森は海の恋人理事。
著書:「森里海連環学への道」「森里海連環による有明海再生への道-心に森を育む」(監修)

有限会社中野水産 代表取締役
1965年 鹿児島県阿久根市生まれ。鹿児島県立阿久根高等学校(現:鹿児島県立鶴翔高等学校)卒業後、父親の会社を継ぐ為に、愛知県の水産会社に就職。7年間勤務の後に阿久根に帰り、鮮魚・冷凍・水産加工販売の有限会社中野水産の3代目として、活躍中。

農林水産省 食料産業局バイオマス循環資源課食品産業環境対策室長
1994年3月、東京大学仏文卒、同年4月農林水産省入省。同省構造改善局総務課を皮切りに農政課、林野庁企画課、1997年に郵政省に出向。1999年にフランス留学。帰国後、総合食料局食品産業課企画官に。2003年6月大臣官房企画評価バイオマス・ニッポン総合戦略検討チーム、大臣官房国際部調整課課長補佐、大臣官房秘書課付き(採用担当)、消費・安全局動物衛生課課長補佐、広告代理店の電通に出向、その後、水産庁、食料産業局に。
鹿児島県阿久根市長
1973年生まれ。1995年3月、九州大学農学部卒。1998年3月、西平養鶏就農。1999年9月、(有)グリーン・ポートリーガーデン設立、同代表取締役就任。2011年1月、鹿児島県阿久根市長就任、同年2月、(有)グリーン・ポートリーガーデン代表取締役退任、同取締役就任。
株式会社ビルメン鹿児島代表取締役会長、一般社団法人鹿児島県ビルメンテナンス協会会長、
一般社団法人日本再生可能エネルギー推進機構理事長、一般社団法人電源セフティーネット理事長

1947年鹿児島県薩摩川内市生まれ。定格出力3キロ、5キロ、9キロの小形風力発電機”TOMOの風”を開発、従来の小形風力発電機の課題を全て解決する為に特許等知的所有権10を取得、国内外に普及活動中。同発電機は、カットイン1.5meter、電圧の安定化と、低風域での高出力を達成。ソーラーパネルと併せてお互いの欠点を補完する実用性の高いハイブリッドシステムを製品化している。バイオマスプラントについては有機性廃棄物、木質双方のバイオマスプラントをEUモデル事業として取り扱っており、発電だけでなく農業も視野に入れた循環型社会の構築を目指している。
(株)日本総合研究所 調査部 主席研究員、(株)日本政策投資銀行 地域企画部 特任顧問、
特定非営利活動法人 ComPus地域経営支援ネットワーク 理事長

山口県生まれの50歳。平成合併前3,200市町村のすべて、海外60ヶ国をほぼ私費で訪問し、地域特性を多面的に把握。2000年頃より、地域振興や人口成熟問題に関し精力的に研究・著作・講演を行う。2012年より現職。近著にデフレの正体、第七回新書大賞を受賞した里山資本主義(共に角川Oneテーマ21)金融緩和の罠(集英社新書)しなやかな日本列島のつくりかた(新潮社、7名の方との対談集)
海洋冒険家、海遍路副代表
1974年東京都生れ。現在逗子市在住。
大学時代より海に目覚め、野球、アメフトから転向。素もぐり漁を八丈島ではじめ、大学卒業後は各地の漁師の仕事を見ながら、国内外をまわる。『海とともに暮らす人々は、どのように生きているのか』をテーマに、オーストラリアから日本にかける多島海域を舞台にした「グレートシーマンプロジェクト」を2002年にスタート。世界初となる航海記録を複数持つ。2005年にはシーカヤックガイドサービス「手漕屋素潜店ちゅらねしあ」をスタート。既存の枠を越える価値を生み出し、ツアーガイドとしてもチャレンジを続ける。2012年TBS系テレビ「 情熱大陸」に 出演。 現在、日本全国の漁村を訪問し漁師に話を聞く「海遍路」を実施中。
京都大学農学博士・高知大学名誉教授
1949年 京都市生れ 65歳。
鹿児島大学水産学部卒後、京都大学大学院博士課程を修了。京都大学農学博士、高知大学名誉教授。
専門は魚類生態学で、アフリカ・タンガニーカ湖にて潜水調査を行い多種共存機構に関する新たな仮説を提唱。
マダイとチダイ稚魚のなわばりを発見し種苗放流の新たな手法を提案。60歳からシーカヤックを始め、八幡氏の指導のもと、黒潮源流域のルソン島東岸の漁村調査を行う。4年前より漁村をシーカヤックで訪問し漁業者の話を聞く
「海遍路」を開始し、四国と宮城県の漁村を訪問した。来年春には有明海海遍路を計画中。